宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』講師解答例

リベラル読解研究

宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』について

高1リベラル読解研究では、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波書店)を扱いました。筆者は「希望学プロジェクト」(東京大学社会学研究所)に関わっており、本書の目的は「単なる現状分析のみならず、日本社会、あるいは人類社会の未来について、今後どのように展望していくべきか」のアイディアを読者に提供することだと述べています(「あとがき」より)。

本書によれば、〈私〉を生きることにこだわる現代の個人にとって、社会は重要な参照軸になるといいます。社会というものが一人ひとりの人間に対して「位置」と「役割」を与えてくれるからです。自らを基礎づける外部の根拠を欠き、中心にあるはずの権力の場も空虚であるという「答えのない」状況において、社会的な意味を絶えざる論争を通じて模索し創出しようとする自己反省的なプロセスが欠かせません。〈私〉時代のデモクラシーは、そのための場をつくりだしてくれる、というのが本書の主題(テーマ)です。自己批判と自己変革のために他者との議論の場を作り続けることが課題といえるでしょう。

以上の内容を踏まえて、「答えのない時代」における「未来への希望」とはどのようなものか、身の回りから具体例を探し、意見を出し合いました。講師解答例は次のとおりです。

講師解答例

筆者は、現代を「答えのない時代」と呼んでいる。しかし、答えがないのは実はいつの時代も同じだ。はじめから答えがあるならつまらない。仮にあるとするなら、みんながその答えを目指せばいつか必ず幸せになれるはずである。そうではなく、答えは、みんなが対話をしながらつくり上げていくものだ。時代は拡散する一方であるから、変化の中でも柔軟に対応できるような主体的な思考が私たち一人ひとりに求められる。

今日ほど、「私」が個人として広く認められ、自由である時代はない。他人に迷惑をかけずに倫理的であるなら、基本的に何をしてどう生きても構わない。それでも、人は一人で生きられるものではない。たとえば、東日本大震災をきっかけにして、私たちは「絆」を取り戻した。連帯意識が個と個をつなぎ、個だけでは越えられない壁を越えさせてくれる。「人」の「間」と書いて「人間」である。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったものだ。所詮、私たちは、か弱い葦である。しかし同時に、考える葦である。答えがなくても答えを探していくには、「私」の個人プレー以上に、「私たち」のチームプレーが要る。

震災報道に接する中で私が感じたのは、「私」は「私たち」の一員であるということだ。私たちはそれぞれが自由だからといって、必ずしもバラバラに動き出すわけではない。衣服が足りないと知れば、衣服を送り、人出が不足していると知れば現地へ向かう。私たちはこれからどこへ向かうのか話し合う知性を持っている。

この本がきっかけで、希望学プロジェクトのホームページをのぞいてみた。「失われた十年」とそれ以上の月日の中で、私たちは「この国を覆う閉塞感」に気づいている。それでも絶望する必要はない、と考える。なぜなら、希望を語るための「共通言語」を私たちはちゃんと持っているからだ。他でもない、「他者への想像力」と「当事者意識」である。希望のよりどころはまさしくここにあろう。

(東大館授業担当)

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