リベラル通信 2019年9月号

慶応義塾大学 2019年度法学部 「論述力(小論文)」分析

今回は慶應大学法学部の「論述力」(小論文)の問題を見てみましょう。

例年、法学部では4000字程度の文章の内容要約と意見論述が求められます(記述字数は1000字)。出題される文章は専門家向けに書かれた文章がほとんどです。知識があるに越したことはありませんが、法哲学、憲法、政治史など出題分野は幅広く、受験生がこれらの分野の基礎知識を万遍なく習得するのは現実的には困難です。

2019年度は大沼保昭著『人権、国家、文明』(1998)からの出題でした。トゥキュディデスの『歴史』から出題された2010年以来の国際法・国際政治にかかわる本格的な問題です。

構成の整った文章のため要約は難しくありません。今回の場合、日本の国際人権問題への対応にみられる特徴が一面では欠点であるが他面では長所でもあるという筆者の両面性への着目を端的にまとめます。日本の対応には「米国型の『人権外交』やNGOの国際人権活動を是正・補完し、文際的正統性をもつ国際人権政策の基礎づくりに貢献する可能性」があるという主張を核に、その特徴を支える5つの要因、「無原則的・現状追随的態度」の問題点と「独善的態度の抑制」という長所をまとめるとよいでしょう。問題は意見論述、とくに「具体例に触れつつ」という指定です。というのも、本文では「国際人権」、「人権侵害」、「人権外交」といった用語が具体的に説明されていないため、どのような具体例が適切なのかを知る手がかりがほとんどないからです。

実は、出題された箇所以外の文章の残りの部分を読めば、欧米諸国とくに米国は人権のなかでも自由権に重きをおくため、社会権などそれ以外の人権の保障が顧みられない傾向があること、人権侵害の典型的な事例としては、南アフリカにおけるアパルトヘイトといった人種差別政策、イラクによるクルド人迫害といった少数民族の迫害、ルワンダにおけるツチ族の虐殺といったジェノサイドなどがあること、そして、人権侵害への対応には、国連への働きかけ(総会や安保理での非難決議の採択や強制措置の実施)、国連人権理事会での活動や人権裁判所での裁判、政府による非難声明、開発援助の凍結・停止、軍事介入など多岐にわたる選択肢があるということがわかります。こうした内容を踏まえれば、たとえば、開発援助を例にとって、人権侵害に対して強硬な態度をとる欧米諸国とは異なり、簡単には援助を打ち切らずに柔軟に対応する日本の政府やNGOによる援助には、発展途上国における社会権の基盤づくりに貢献する可能性があるといった主張をすることが可能になります。ですが、受験生にこのような「模範解答」を書くよう求めるのは無理筋でしょうし、出題者もまたそのような「正解」を期待しているわけではないと思われます。それでは、どのような対応であれば可能でしょうか。

ここでは筆者の主張を現在の世界情勢に当てはめて検討するという方法を提案します。人権侵害という批判に耳を傾けず自国第一主義を掲げるトランプ政権下の米国を念頭に筆者の議論を見直せば、日本の対応が欧米諸国の人権外交を「是正・補完」するという構想は、本家本元である米国が人権規範から逸脱する時に機能不全に陥る主張であるという方向性の批判が思い付くでしょう。これならば普段から新聞を読むなどして世界のニュースに触れていれば、なんとか作成可能な解答です。

筆者の大沼保昭氏は戦後処理の過程における在日朝鮮人の処遇について一から資料を掘り起こして問題提起するなど日本社会における少数者の人権保障に取り組む一方で、国際法に関する専門的な研究を続け、2018年に亡くなられました。今回、このような難易度の高い文章をあえて出題した背景には、これから学問の道に進もうとする若者に対してこの道の第一人者に挑戦して欲しいと願う出題者の期待が透けて見えるようです。

リベラル読解論述研究 書籍紹介

中学生の使用書籍紹介

中2生 …… 9月期『データはウソをつく』谷岡一郎

私たちは日々、いろいろな場所で「データ」を目にします。たとえば、街頭アンケートや科学実験の調査結果をまとめた表やグラフなどは、ニュースや新聞など、様々なメディアで目にする機会も多く、親しみがあるかと思います。

しかし、このように示されたデータは、必ずしも真実をありのままに教えてくれるとは限りません。情報操作のために真実と異なる印象を与えようと細工を施されたデータも、世の中には数多く存在しています。もし、そのような加工されたデータの存在を知らなければ、誤った世論に導かれてしまい、本当に知るべき真実を見極めることは困難となるでしょう。また、誤報や偏りのある情報を信じることで、知らない間に特定の対象を傷つける加害者となる可能性もあります。

本書では、実際の広告や記事を例にとって、データを歪める技術や、それを見破る際の注意点を、わかりやすく教えてくれます。

大学で、論文の執筆や実験を伴う研究を行う際には、データを含んだ資料集めが欠かせません。その時、どのような姿勢で臨めばよいかを本書を読むことで学んでいきましょう。

高校生の使用書籍紹介

9月期『夜と霧』V・E・フランクル

第二次世界大戦下に多数のユダヤ人が収容・虐殺されたことで知られるアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。本書は、そこから奇跡の生還を遂げた筆者の記録です。

この記録の特徴は、筆者の職業を反映して心理学的視点からの描写が多く、また、収容所内で起こった出来事が事細かく客観的に記されていることにあります。全編を通して、非人道的な環境下での強制労働、わずかな食事と睡眠時間、理不尽な死を目の当たりにした人間に訪れる心身の変化や絶望が淡々と記されますが、最後の章ではついに解放に至ります。しかしその後の日常でも、なおも不満や失意が収容所内にいた人々を襲います。それはなぜか。考えるうちに、普段なかなか直面しない「人間とはどう生きるか」という問題が決して私たちの日常と無縁のものではないことを、実感を持って知らされるでしょう。記録の細かい描写まで目を通し、熟読してもらいたい一冊です。

※『夜と霧』は、霜山徳爾氏の旧訳版もありますが、Y-SAPIXの授業では池田香代子氏の新訳版を使用します。

第5回全国論文コンテストについて

全国論文コンテストの締切が迫っています(9月20日金曜日必着)。このコンテストでは皆さんに「表現することの喜び」を体感してもらいたいと考えています。

《対象》全国の中1生〜高3生
優秀者は、11月頃に表彰式を行います。優秀作品および表彰式の模様は、ホームページおよび情報誌「Y-SAPIX JOURNAL 1月/2月号」に掲載いたします。あらかじめご了承ください。

《書籍》『いのちを“つくって”もいいですか?—生命科学のジレンマを考える哲学講義』
島薗進著(NHK出版、2016年刊)

皆さんの応募をお待ちしています。

※次回のリベラル通信は秋号の予定です。

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