市村弘正編『藤田省三セレクション』講師解答例

リベラル読解研究

市村弘正編『藤田省三セレクション』(平凡社)について

リベラル読解研究では、市村弘正編『藤田省三セレクション』(平凡社)を扱いました。藤田省三は入試でも頻繁に出題される政治学者・思想家です。

はじめに、「苦痛を避けて不愉快を回避しようとする自然な態度」と「不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去して了いたいという動機」との相違について、環境問題を題材にして考えました(388頁1-4行)。

たとえば、夏の暑い日に、日本の伝統的な家屋では窓を開け、風通しをよくします。建築そのものが風通しをよくする造りになっています。庭先では打ち水をし、空間に温度差を作ることで、空気が流れるようにすることで私たちは涼しく感じることができます。風通しのよい家屋構造や、打ち水などは日本の文化と言ってよいでしょう。土地に適応し、より快適に生きようとする生活の知恵がここにあります。これが、「苦痛を避けて不愉快を回避しようとする自然な態度」です。

一方、空調設備を整えて涼しい部屋に閉じこもるのは、「不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去して了いたいという動機」に基づきます。夏の暑さという不愉快を回避する自然な態度というよりも、暑ささえ感じなくさせる環境に身を置くことで、不快の元の物そのものを除去しています。空調などを使うことで、電気を消費し、温室効果ガスを排出しています。これが地球温暖化の原因の一つとなっていると考えられます。

ここで、「忍耐を内に秘めた安らぎ」が「他人(ひと)を自由にし他人に自発性の発現を容易にする」(390頁7-9行)とありますが、なぜこのようにいえるでしょうか。

私たちは「忍耐を内に秘めた安らぎ」によって、「安楽」への狂おしい追求をせずにすみ、「安楽」喪失への不安から逃れられます。忍耐を内に秘めない隷属状態は、平静な虚無精神と異なり、他の諸価値を尽く支配しながら、自然反応のない状態を求めて止まないという点で、「能動的ニヒリズム」といえるでしょう。安楽を第一としないことで、他人は自然な状態でいることができるので、自発的な行動をすることができるのです。

以上を踏まえて、「安楽への隷属」のコストが「喜び」という感情の消滅である(391頁10-11行)ということはどういうことか、我々の消費生活を具体例にして考えました。講師解答例は次のとおりです。

講師解答例

日常生活において、私たちはついつい楽をしたがる。例えば、代々木から原宿へ行くのに、迷わず電車に乗ろうとする。しかし、急ぎではないのなら「少し歩いてみよう」という、筆者の述べるような「自発性」がここにあってもよいはずである。

たしかに、交通機関を利用しなければ、体は少し疲れるが、実際に歩くことで、ほほを伝う風やつぼみが開きつつある街路樹に春の訪れを知ることができる。こうして新しい季節に出会う「喜び」は、何物にも代え難い。

すると、現地に着くことだけが目的になっているのも不自然だと思えてくる。電車に乗ってしまうことで、私たちは簡便さという「安楽」に隷属してしまっている。そのとき、明治神宮の森がどれほど豊かな生命をたたえ、人びとにおおどかな時間を提供しているかを私たちは忘れている。したがって、安楽に隷属するために私たちの払うコストというものは、得られるものよりも、相当に大きいものだと考えられる。

(東大館授業担当)

お問い合わせ: 0120-3759-37 (日曜・祝日を除く14:00〜18:00) Webフォームで問い合わせる