第27回 東大入試プレ問題分析〈国語・古文〉

東大研究室

今回は古文の問題です。
東大入試プレ問題にチャレンジしてみましょう。

国語〈古文〉

東大古文の出典は、過去において、説話・物語・日記・随筆など多岐にわたって採用されていたが、近年は説話と物語が中心になっている。また、本文の長さはせいぜい800〜900字程度で、そう長いものではない。

設問構成はオーソドックスで、基本的に「現代語訳」と「内容説明」の2種類だけだが、近年特に「現代語訳」の出題が目立っている。

本年度の東大入試における現代語訳問題の特徴として、傍線部分に重要古語として覚えている知識だけでは対応できない語が散見されたことがあげられる。本文の筆者の主張を踏まえて適切な訳語を工夫しなければならない要素があった。

そこで、ここでは、11年度・代々木ゼミナール第1回東大プレテストの問題を用いて、「現代語訳」問題の対処法について触れておきたい。

〈現代語訳のポイント〉

① 単語・文法を正しく踏まえて訳す。
② 指定された条件に合わせる(省略語句の補いや指示語の具体化)
③ 場合によっては①をもとに、現代語としておかしくないように、わかりやすく工夫して訳す(意訳する)。ただし①のポイントは正しく踏まえていなくてはならない。

以上の点に留意しながら、さっそく問題に取り組んでみよう。

次の文章を読んで、後の設問に答えよ。(現代語訳問題2題のみ抜粋した)

 ア この世はいくばくならず、久しからんに八十年。いかにいはんや、不定ふじゃうのさかひなり。

 人の物をむさぼりとりて、後世は長く暗きに入りなんとす。たまたま人界に生まれたりつれども、ほどなく三途さんずの古郷にかへりなんばかりの損やはあるべき。物もたる者とても、毎日に百こくを食はず。着物多くある人も、一度に千びきを着ず。かなはぬ者とても震ひも死なず、もちたらぬ人もかつうることもなし。千石の大夫といひし者も餓死しにき。イ これは先世の宿業なり。

 ただ、道心あらんことはかたくとも、罪あるばかりのことはあるまじ。菩薩ぼさつぎやうをおこさんことはかたくとも、声聞しやうもんに物供養くやうせぬほどの世間はあるべからず。げに取らすばかりのもののなきこともあれども、なびやかにいひてなげくべし。

 因果をわきまへ、慈悲を具足したるを人といふ。さらぬ悪人は、人非人なりといふ。猿まろなどのていなり。信者といひ不信者といへども、片供養にも三宝をばたうとびまゐらすべし。神冥をばあがむべしと知りたるぞ人。これを知らぬは犬馬にことならず。

(『竜鳴抄』)

〔注〕
  • 三途—悪業の報いで死後に堕ちる地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道。
  • 千疋—疋は布の長さの単位。
  • 千石の大夫—大夫は古代中国の高官、千石はその俸禄。
  • 菩薩の行—自分自身悟りを開き、 また他の衆生をも悟りに導こうと努力すること。
  • 声聞—出家の修行僧。
  • 世間—世俗の人。 俗人。
  • 猿まろ—サルのこと。
  • 片供養—略式の供養。
  • 神冥—目に見えぬ神仏。
設問

(一)傍線部アを現代語訳せよ。
(二)「これは先世の宿業なり」(傍線部イ)を、「これ」の内容がよくわかるように現代語訳せよ。

解答例と解説を表示

解答例と解説

(一)の解答と解説

【解答】人の寿命はいくらでもなく、長いとしても八十年だ。

【解法のポイント】
「いくばく」は「どれほど」の意、「いくばくならず」で「どれほどもなく」「たいして長くもなく」の意となる。「久しからんに」とある「〜んに」の「ん」を「(かりに)〜としても」と仮定の意に解して訳出する必要がある。こうした単語・文法知識は基本中の基本で、傍線部中特に難しいところもないが、直訳すると「この世はどれほどでもなく、長くとも八十年だ」となる。しかし、「この世」が「現世」のことだとすると、「八十年」しかないというのはおかしい。従って、ここで言う「この世」とは「人が現世に生きている時間・人の一生・寿命」を意味しているものとつかむ。「人生は」でもよいが、「現世」としたもの、「この世」そのまま用いたものは減点対象となる。さらに、文末を「〜だ」あるいは「〜にすぎない」などと結ぶことができれば完全答案。

(二)の解答と解説

【解答】貧富を問わず、どのような死を迎えるかというのは前世からの宿縁によるものである。

【解法のポイント】
指示語の内容の明示を求める現代語訳問題で、こうした類の問題はよく出題される。

まずは、傍線部の解釈がきちんとできなくてはならないが、「先世」は「前世」とも言い、「生まれる前の世」の意。「宿業」は仏教の因果応報に基づく語で、現世での幸不幸が前世での行為の善悪に起因するものであるとし、その前世での行為をこう呼ぶ。これらは、古文常識としては必須の知識。「これ」の指す内容は直前の記述「千石の大夫といひし者も餓死しにき」=千石の俸禄を得る高官も餓死した(ことがあった)、と容易にわかるだろう。そしてこれは、さらにその直前の「かなはぬ者とても震ひも死なず、もちたらぬ人も飢うることもなし」=暮らしが思うにまかせない人であっても飢えたり凍死することは(必ずしも)ない、という記述と対になっていることをつかむ。

つまり、筆者は、経済的に恵まれていても悲惨な最期を遂げることはあり得るし、逆に困窮していてもそれが死に直結するわけではない、と述べ、そのようになる理由を「先世の宿業」だと説明しているのである。どれほどの財産を持っていようと、前世からの宿業で定められた運命から逃れることができるわけではなく、従って物質的な豊かさは所詮は空しいものであるということを説き、本文冒頭の「人の物をむさぼりと」る行為の無意味さ・愚かさを主張する根拠としているわけである。これらのことを踏まえて解答をまとめると、「貧富を問わず、どのような死を迎えるかというのは(前世からの宿縁によるものである。)」などとなろう。

もちろん、指示内容を本文に即してまとめ、「a 不遇であっても餓死せず、b 高官(千石の大夫)でも餓死してしまうことがあるのは前世からの因縁によるものである。」としてもよいが、このa・b いずれか一方しか書かれていないものは減点の対象になる。ここで注意しておきたいのは、東大入試では解答欄のスペースが極めて狭いので、具体的に記述すると書ききれなくなってしまうことがある。実際に、本プレテストを採点した際、a・b どちらか一方しか書いていない答案が多かった。失点を避けるため、できるだけ模範解答のように簡潔な表現を心がけるようにしてほしい。

現代語訳

人生はいくらでもなく、長いとしても八十年。言うまでもなく定めなき境涯である。

他人のものを強奪して、(その罪の報いにより)死後は長く暗い三悪道に入ろうとする。偶然人間世界に生まれたというのに、すぐに生まれる前の三悪道に帰ってしまうくらい損なことがあるだろうか。(多くの)財産を持っている物といっても、毎日に百石もの食料を食べはしない。衣服を多く持っている人も、一度に千疋もの服を着たりしない。(暮らし向きが)不如意な者であっても(必ずしも)震えて死ぬわけではなく、所得の乏しい人であっても(必ずしも)飢えるということもない。(一方)千石の俸禄を受ける大夫といった者も餓死してしまうことがあった。これは前世からの宿縁によるものである。

「Y-SAPIX Journal 2011 AUTUMN」より転載

次回は、「東大入試プレ問題分析〈英語・問題3〉」を掲載予定です。

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